itのひみつ(3)前項で、itは「日本語に訳せないときがある」のではなく、基本的に大概の場合、itの概念は日本語になじまないのだ、というようなことを書いた。それをもう少し解説する。 "it"が何か具体的なものを指す…いや、受けているときであっても、日本語ではっきりと「それ」などと訳すことは実は少ないと思える。 "My boyfriend take me to a new Italian restaurant last weekend. It was reeeealy good." (先週末、彼が新しいイタリアンレストランに連れていってくれたの。すっごく良かったわよ) こういうとき、「それはすごく良かった」などと訳したらカッコ悪い。というか、ふつうそんな風には言わないでしょ? でももちろん、itがそのa new Italian restaurantを「受けて」いることは間違いないのだが。だがそれをいちいち「それは」などと訳したら、「へたくそな翻訳」臭丸出しである。 日本語として不自然なのだ。 日本語は基本的にあまり主語をたてないわけだが、それは大概の場合、「言わなくても分かる」状況だ。言わなくても分かる、というのは、つまりもうそれがすでに話題になっているので今更「指し示す必要がない」からである。 もっとも、実は「主語」に限った話ではない。日本語は目的語だって言わない。 ”I saw Kimutaku's new drama." "Oh, I saw it too! I liked it." (「キムタクの新しいドラマ見たわ」「あ~あたしも見た~。気に入ったわ!」) 「あたしもそれを見た」「あたしはそれを気に入った」 なんてあまり言わない。 「あ~、それ、あたしも見た!」と強調する気分ならむしろ I saw that! と、相手のことを指さして(正確には相手の話した言葉。漫画なら「吹き出し」を指さすところか)言うかもしれない。 上記の例は、「いま話題にしている」具体的なものを受けて(あくまで「指して」じゃなくて)いる場合だが、たとえば、今その渦中にいる「状況の全体」、についても、日本語は言及せず、英語ではitを使う。 「なんか寒くなってきたね」 It's getting cold, isn't it? そう習った人も多いかもしれないが、天候・寒暖・明暗・時・状態・距離・その他事情のit、というやつだ。 「このit自体には意味がありません」などと習ったりすることもある。 とんでもないことだ。意味のない言葉などない。日本語で表現しないから「意味がない」というのはあまりにも乱暴な言いぐさである。 とはいえ、哲学的に言えば、たしかに「言葉こそが意味を作る」わけで、日本人にとってはこういうitが表す世界には意味を感じ取れない。ましてや中学生などにその「意味」を説明するのは至難の業だ。「天候・寒暖・明暗・時・状態・距離・その他事情」とカテゴライズするのが、ある意味「ラク」なのである。だがここに、英語が身に付かない理由もある。 ともあれ、このitは、「状況そのもの」を受けているのだ。 前述のように、「具体的なもの」を受けている=つまり、意味はしっかりある=itだって、日本語に訳すと不自然な場合の方が多いのである。 これまた主語だけではなく、たとえば新しい場所にやってきて 「ここ、気に入ったよ」 なんて言う場合も、目的語をitにして、 I like it here. などという。 誤解されやすいが、hereは名詞ではない(副詞であり、意味は「ここに」とか「ここで」とか「ここへ」とかなのである。「ここ」という意味ではないのだ)。目的語というのは名詞でなければならないので、likeの目的語をhereとして I like here. というのは文法的に間違っている(他動詞であるlikeには『必ず』目的語が必要でもあるし)。 I like it here. なら、 「ここにおける『状況』は気に入った」 ということで成り立つのだ。 前へ 次へ |